退職代行サービスに1,000円の新参者が現れた。2025年7月、AI人事テック企業・株式会社NexusAdvisorsが「サヨナラコンシェルジュ」を開始した。通常2〜5万円かかるこの市場に、端数にもならない金額で参入できる理由は、退職代行で稼ぐつもりがないからだ。
1,000円の退職支援「サヨナラコンシェルジュ」の全容
退職代行とは、会社を辞めたいと言い出せない人の代わりに「退職します」と会社に伝えてくれるサービスだ。弁護士や労働組合が運営する業者が多く、費用の相場は2万〜5万円程度。サヨナラコンシェルジュはこれを1,000円(税込)で提供する。ただしこれはキャンペーン価格であり、期間終了後の正規料金は現時点で公表されていない。
HR Tech企業NexusAdvisorsとは
運営元の株式会社NexusAdvisors(東京都世田谷区、代表・山本稔氏)の本業はAIを使った採用支援だ。主力システム「HR Next」で企業の採用ミスマッチ分析や離職リスク予測を提供するHR Tech企業であり、退職代行は後発事業にあたる。Jリーグクラブ・アビスパ福岡とオフィシャル・パートナー契約を結び、若年層への認知拡大も図っている。
サービスの対応範囲と利用の流れ
申し込みから連絡まで全てLINEで完結する。公式サイト上でLINE以外の連絡手段は現時点で案内されていない。正社員・アルバイトを問わず利用でき、AIが対話形式で状況を確認したうえで会社に退職意思を伝える。ただし未払い残業代の請求や有給休暇の取得交渉など、会社との取り決めが必要な場面は対象外だ。交渉が必要な場合は弁護士への引き継ぎが前提となる。1,000円が解決するのは「辞める意思を伝える」部分だけである。
利用者自身が法的責任を問われることはない。非弁行為の規制は「弁護士でもないのに他人の代わりに法律事務を行う業者」に向けられたものであり、サービスを使う側の行為を禁じる規定ではない。
では、なぜこの価格が成立するのか。答えはサービスの料金体系の外にある。
なぜ1,000円で成立するのか——収益源は退職代行費ではない
従来の退職代行業者は、利用者から2〜5万円を受け取って収益を得る。サヨナラコンシェルジュの1,000円では、スタッフの人件費すら出ない。それでも成立するのは、退職代行そのものから稼ぐつもりがないからだ。
「二毛作モデル」の構造
NexusAdvisorsが自社のビジネス設計を説明する際に用いる言葉が「二毛作モデル」だ。プリンターを安く売ってインクで稼ぐビジネスモデルと同じ発想である。1,000円は「退職支援の対価」ではなく、転職希望者を集めるための顧客獲得コストと割り切られている。
退職した人が次の職場を探す段階になると、NexusAdvisorsのキャリア支援サービスへの案内が届く仕組みだ。転職先が決まれば、採用した企業から紹介手数料が発生する。1,000円で入口を作り、転職成立時に本収益を回収する構造だ。
退職者データが商品になる仕組み
もう一つの収益源は、退職者のデータだ。「なぜ辞めたか」「どんな職場環境だったか」という情報は、離職率に悩む企業にとって価値がある。
NexusAdvisorsは退職データを人的資本経営レポートや営業組織改善の情報として企業に提供する体制を構築するとしている。収益の流れは二本立てだ——退職者の転職先から紹介手数料を取り、退職者が残したデータを企業に販売する。利用者にとっては1,000円の便利なサービスだが、その退職理由や職歴データが次のビジネスの原材料になっている。
モームリ逮捕後、HR Techが変えた退職代行の形
では、なぜ今このタイミングでHR Tech企業が退職代行に参入したのか。その背景には、2026年2月に業界を揺るがした逮捕劇がある。
非弁行為逮捕と従来型の限界
2026年2月、退職代行業界の最大手・モームリの代表が弁護士法違反(非弁行為)の疑いで逮捕された。「会社と交渉する」行為は、弁護士や労働組合でなければ法的に行えない——未払い給与の請求、有給消化の交渉、こうした「代わりに戦う」サービスが規定に抵触したのだ。
事件後、企業側の対応も硬化した。弁護士か労働組合以外の業者からの退職連絡には対応しないと方針を定める企業が増えている。法的リスクと企業側の対応拒否という二重の圧力が、従来型の業者を追い詰めた。
「対立」から「データ活用」への転換
こうして退職代行市場は二極化した。弁護士が運営する高額な「交渉型」と、交渉を一切せず意思を「伝えるだけ」に徹する「IT型」だ。サヨナラコンシェルジュは後者の典型例であり、交渉しないことで法的リスクをゼロにしている。
HR Tech企業の参入がさらに持ち込んだのは、退職を「対立」ではなく「データ」として扱う発想だ。会社を去る行為が、次の採用や組織づくりに使われる情報源になる。退職代行は、そういう産業に変わりつつある。